過去からの手紙
昨日、PCの中を探しものしていて、かつての日記のテキストを見つけた。
正視できなかった。うっかりひきずられそうな気がして。
あの頃しんどかったんだなーと思った。
誰かにひどい目に遭わされていたということではなくて、自分を痛めつけるようなことばかりしたり考えたりしていた。
すごく人と比較して、自分のだめなところばかり見ていたし人のことを羨んでいたのだけど、
それも自分を痛めつけるような行為のひとつだったと思う。
ほんとうに不幸だったかどうかはわからない。けど、自分で自分のことを不幸にしていたには違いない。
見つけた日記はだいたい2011年から2013年あたりのもの。
その日記をチラ見して目についたのは、
「自信がつけば変わるのではないか」
という言葉で。
それからの数年、自信がついたかどうかはまた難しいのだけれど、
継続していくことでそれなりのは力としぶとさはついたんだと思う(それでもまだまだで自分のことが恥ずかしくなるけれど)。
もうひとつ。2013年後半からぐぐっと環境が変わり始めるのだけど、
以降は周囲の人々に、わたし自身が人に対して安心感を持てるように育て直してもらったみたいな感じがしている。
わたし、自分のことも人のこともちゃんと見られなかったというか、誰かが自分を大切に扱ってくれるなんてことがあると思っていなかった気がするから。
相乗効果のようなところがあって、
人との関係が変わってそこからいろんなものが開いて、
だけど出会いがあってもそれ以前のわたしじゃなくてその時のわたしじゃないとだめだったし、大きなところで自分が何かを決めたことで動いたんだろうとも思うし。
さらにわたしが周囲を信頼したり好きになったりすることで、多分いろんなことがよくなるとか。
西洋占星術で未来予測をする時に、自分自身の内面の気分とテーマがどこにあるのかということを進行図というものを見るんですよね。
2013年は進行の月(その時の気分的なもの)が6ハウスから7ハウスに抜けています。
6ハウスは修行とか、義務感とか、自分を鍛えていく場という雰囲気。
7ハウスは対人。
その少し前に自分自身の出生図の月(ベースとなる自分の素の部分)の上を経過図の土星が通過しています。
自分自身が決めざるを得なくなったというか。同時期に人との出会いへ目が開きはじめる。
確かにひとつのターニングポイントの時期だったのだろう。
これからのことはわからないけど、意外と今のわたしは心落ち着く場所にいて(意外ととか書くと、よくしてくださった方に失礼なんだけど、これまでのわたしからすると意外なんです)、
それは一人だけではだめだった。
そこには感謝しかなくて、
同時に誰かのための前にわたしがしあわせじゃないと、と思う。
どちらかにいきすぎてしまっても崩れてしまうし、わたしがしあわせじゃないとなんだか歪んでしまって、誰かかを好きでいられるのかがわからないと思うから。
なかなかどう相方のいけまさんの「思うままにつくるちくちくワークショップ」に参加した時の、作成途中の写真。
そしてこちらが完成写真。ちくちくワークショップ楽しかったので、これについてはまた書きたい。作りながら自分のホロスコープのこと考えちゃったりしたのですよ。
なかむらかえる
星とカードと手のひらと。
うっかり等身大で歩きだす、そんなお手伝いをしています。