雨の日に考えること。
占いというものについてなんとなく考えていたんですけれど、
わたしはやりたくてやっているのでもちろんそれでいいんですけれど、
なんというか、やっぱりダーティーというか、ダークなものだと思います。
人の裏とか闇の部分にかかわること。
西洋占星術には「ハウス」という概念があって、それは自分の目的などがどんな場所でなされるか、という「現場」を指します。
その中で、しばしば占いは12ハウスのものと言われます。
1ハウスから6ハウスが個人生活を、
7ハウスから12ハウスが社会生活を指します。
社会での完成は10ハウス。
そこが頂点ならば、11ハウスはそこを改革し(しばしば社会奉仕の場所とも言われます)、12ハウスは11ハウスでも成せなかった、よいもわるいも全てを飲み込む・すくい上げる場所というイメージです。
すべてを溶かし、すべてを許す。そういう場所でしょうか。
そこはモラルの場所ではないんですよね。
世の中におけるよいもわるいも全部を解放する場所なんじゃないかって。
世の中の正しさとは違うものだという意味では少しダーティーで、
表の世界からはなくなっていいもので、だけれど人の闇を受け止めるものとしては必要な気がする。それは人によっては占いというものではなくていいと思うけれど。
わたしの中ではそういう前提で、でもそーっとその時必要などなたかが気軽に受けられる、そういうもの。
そんな風に占いをできたらと思っていて。
だとしたらどんなふうにやっていくのがよいのか、しばらく考えています。
まあ、まずどなたかが来てくださらないとなりたたないもので、
一人で頭でっかちに考えることでもないかもしれないんですけどね。
来てもらうにはわたしのことを知ってもらうことは必要だし、
どなたかがみえたところで、わたしにその方を納得させる技術がないと続くことはないでしょう。
わたしの安定装置である天体の月は仕事を指す現場の10ハウスにあるせいか、
時間があるとこんなことばかり考えています。
久しぶりの雨です。
(今日撮った写真ではないんですけれど、少し前の雨の日の永代橋です)