占いはなんのために?
今日はわたしが西洋占星術について考えていることを書いてみます。
世の中にはいろんな占いがあります。
その中でわたしがやっているのは西洋占星術とタロット。
「どうしたら◯◯できますか?」「いつ◯◯できますか?」という問いに対しては絶対の「いつ◯◯しなさい」とお伝えするのはわりと難しいところがある気も正直する。
さらには世間で勝者になるための占いではないよなあというのも正直ちらっと思っている。わたしがやっていることにおいては。
ではなに?なぜ?
わたしは占いについては対面でのセッションの他に、(ほんとうに僭越ながら)講座でお話するということもしている。
どちらも仕事でお金のためだけどそれだけではなくて、やることに意味があると思ってやっています。自分なりに。
なにができるの?なんのために?ってよく思うんですよね。
わたし自身、世間における勝者ではぜんぜんない。
そして占いをお教えしてはいるけれど、プロの占い師さんを育てているわけではない(ご自身の活動によってそうなっていく方もまれにいらっしゃるけれど)。
「意味を知る」ということが一番大きいかもしれない。
それ自体に人生を変える力はないと思うけれど、人生に大きな変化が起こる時、ただわからないまま流されていくだけではなくて、そこにどんな意味があるらしいのか、というのを知る手助けをしてくれる。
何か起こりうるとして、「その次」ってあるんです。「その次」がどんなことらしいのか。だとするとそこから逆算して今はどういう時なのか。
それがわかれば、少しは能動的にその時期を受け入れていくことができる。
わたしについてはボキャブラリーを増やしてもらったと思っているんですよね。
ボキャブラリーの語数みたいなことでいうなら、わたしは少ない方なんですけれど。相変わらず。
ただ、自分の中にあるらしいけどどう言葉にすればいいかわからなかった部分をすくいあげて認識して言葉にすることができるようになった。そういう意味でのボキャブラリーかな。
西洋占星術もタロットもそういう部分がありますね。
世の中もそうかもだけど、一人のひとの中も矛盾だらけだ。だけどそういう矛盾が重なってなりたっているということはある。
そういうことって、多分わたしがただ手探りで探ったらたどりつけるかどうかがわからないところだった。
こうなってくると運がよいわるいという話もわからなくなるところがあって、確かに「運がよい」とされるホロスコープってあるんです。
それはどちらかというと矛盾が少ないホロスコープというのを指しているようにみえます。
でも矛盾が多くたって、それを押さえつけない生き方を選ぶならば、
世間で勝者になるための占いではないと思うのは本当だけど、世間の基準と関係なく充実した生き方をしていくというのはできると思っているんですよね。勝ち負けと関係なくしあわせであるあり方みたいなの。
あ、もちろん「どうしたら勝てます?」というご相談があれば、占いから読めることを通して一緒にさぐっていきます。でもそれもある一定のセオリーがあるということじゃなくて、どうしたら自分の持ち味を活かせるか、いまどんな時期でどんな意味があるのか。やっぱりそこをベースにしたお話になるのかと思います。
一応この文章、講座やってますのアピールも兼ねて一度自分の中で整理したかったってあるんですけれど、
「学ぶ」―は占い師になるならないと関係なく悪いことではないのでは、と思っているんです。
言葉にできなくとも、自分のことと自分が今どんな状況にあるのかということを実は一番知っているのは自分だから。それをきちんと認識して言葉にするための術を手に入れるという意味で。
そこから人生を変えていくヒントにつながることってあります。
(ただまあ、向き不向きというのはあると思う。なんだかんだでお勉強なのでめんどくさい部分はある。それぞれ人生の中でやるべきことというのはあるし。そもそもそんなものは不要という方もいらっしゃいます。それはそれでよいことだとも思うんです。)
究極、違う人にならなくていい、を知るのが西洋占星術なのかもしれないな。
あ、一応肝心のアピール。
4月から西洋占星術連続講座、リピート開催します。吉祥寺にて。→☆
...もしかして7期目ぐらいになるのかも。
最初は中野ウナ・カメラ・リーベラで。2015年の夏じゃないかな。
そのあと下北沢で2回、高円寺のひらやさんで1回、東高円寺と西荻窪で1回ずつ。
多分ちょっとずつは成長しています...と思いたい。ご興味お持ちいただけましたらお越しください。体験会もご用意しています。→☆
よろしくお願いいたします。
会場は吉祥寺なかなかどう アトリエ kiChiにて。
なかむらかえる
星とカードと手のひらと。
うっかり等身大で歩きだす、そんなお手伝いをしています。