停滞も一つの過程。
今日は自分に向けて書いています。(あ、特に)
なんとなく考えていました。
昨日はもう終わらないかもと思っていた仕事がすごく進んで、なんというか光が見えた日でした。
実りある一日だったと思います。
だけど毎日で考えると、毎日はっきりと目に見える実りがあるなんてことはありえない。
動かない、やろうと思っていることに辿りつけない、ようするに停滞する。
そんな日だってあります。
わたしは貧乏症というか変にワーカホリック的なところがあって、そういう時ってわりとしんどい。自分や状況を責めたくなる。
でもさー、長い目で見れば、わかりやすく目に見える実りのある日なんて、そんな日の方が少ないのだよね。正直。
そういう時も含めた長いスパンでの実りを考えたいなと思ったのでした。
ていうか、実りがなくてもそれを一過程として捉えゆったりと過ごす。許す。
世の中の実りというものとは関係なく、
どこにも属さずふわふわと自由でいる「愚者」でありたい。
そういう欲望も実はないわけでもありません。
ただ実際のわたしは社会の中で生きています。
(どっちでも楽しめればいいんだよね。
まあ、そんなオチで。そして愚者でいつづけるということは強さが必要。)