まずはカード優先で。
僭越ながらタロットの講座というものをさせていただいていて、
わりとよく思うことというのは、
多くの方が「自分のことを読む時は厳しい状況に読みがちで、誰かのことを読む時は易しい状況に読みがちになりやすい」ということです。
これはわたし自身もそうなんですよね。
だから自分のことっていくつかのカード見て「あーーーわかったよ...」みたいな感じでちゃんと読まないで閉じてしまう。
できるだけフラットに読んでもらいたくて、信頼できるどなたかに占っていただきに伺ったりする。
でも目の前の誰かのことは傷つけたくないんですよね。
そして目の前の誰かの心のうちはわからない。だから言葉に出されきっていないけれど、展開されているカードにうっすらとあぶり出されている問題らしきものは気のせいだと思ってすっとばしたくなる。
「大丈夫」って言ってあげたいしね。
...わたしです。
そうやってたくさんの失敗を重ねました。
んーと、ですけれど、意外と本当にカードに沿って読んでしまっていいんだと思っています。まずは。
たとえばわたしだったら。
最近のわたしなんて実のところ「お金は大丈夫」「彼氏はちゃんとできる」って言ってもらいたいだけだったりするんですよね。
だから「全部うまくいくから」って言ってもらえたらそりゃあうれしい。
だけどそのまんまで全部うまくいくんだったら今この状態で占いは必要ないわけで。
何が問題でそうなっていないのか、だとしたらどう変えていくならよくなっていくのか、ということですよね。占いでお伝えすることって。
それはよいわるいではすくい切ろうとすると見落としがちになったりもする。
これまで占いを通していろんな方と出会ってきて思うことは、お客さまはその時自分に必要な言葉を取りに来ているということだ。そしてそれは、正直なところ常にわかりやすくポジティブな言葉とも限らない。
それはわたしがお話しているようでも、わたし個人の言葉ではなく、カードの中にある言葉だ。
占いはいつもの自分の主観とは違う視点から自分を確認するものだと思っていて。
タロットについて言うならばあやしい話で申し訳ないのだけれど、
カードは確かにその時の対象者を映す、もうひとつの自分のようなものにはなっているのでは、という気がしている。
それはだいたいはわたしの主観だけではおよばない世界だったりもします。
だから、読む時の「こうでなければ」を手放してカードを信頼してみて。
まずはそこからだからと。
------
それでも。
「占う時はなるべくフラットに」といつもお伝えするけれど。わたしたちは人間ですから、完全に主観を手放すということも難しいのだと思う。だけどそこから相手に対する思いやりが生まれたり、状況をくみ取ってその時の相手にとってのベターな言葉を探す力にもなりうるとも思うんだよね。
矛盾があるようだけど、そういう力も大切なわけで。
そこが人がやる占いのひとつの限界で最高の長所なのかもしれない。
だから「なるべく」かな…。
わたし自身も全然パーフェクトなんかじゃないんですよ。
できるだけのベストは尽くす。できるのはそこまで。
だけどしつこいようだけれど「できるだけのことはする」のせめぎあいでやっています。
本日はkiChiにてひとり作業。この建物の造り自体が面白くて、時々、奇跡のように美しい場所だなーと思います。
なかむらかえる
星とカードと手のひらと。
うっかり等身大で歩きだす、そんなお手伝いをしています。