2012年からの祝福
少し前にこんまりさんの本を読んで以来、自宅で時間があると片付けに走っています。
勇気を出して、これまで講座を受けた時のメモやノートなどに手を付ける。わりとここ、魑魅魍魎なので迷っていたのだ。
これまでの講座のノート類は…まだ使うなあ…。
裏紙に書きっぱなしの大量のメモ的なものは処分することにした。きちんと読める状態になっていないとさすがに見返すことはない。
そんな中で、2012年頃に三上牧先生→☆ の水晶読み(多分イベントで短時間の鑑定だったと思う)を受けた時のメモが出てきた。
この時に占っていただいたのは、何を考えたかインドに行ってみたかったんですよ。で、旅行先でタロットでちまちまお小遣い稼げないかとか考えてた。今、自分で書いてはずかしい。
まあ、だいたいわたしが旅行に行きたいと思うのは煮詰まってる時で、この時は何があってどんな場所にいたのかもあんまり記憶がない。
結局旅行は行かなかった。お金が貯まらなかったんじゃないかな。それとちょっと怖そうな事件がインドで頻発していて躊躇したのだ。
セッション自体も「行けるかどうか」ということで占っていただいたのではなかったと思う。でも、なにかの希望がほしかった。なんでもだ。
水晶読みのセッションはこちらからは質問を伝えず、まず三上先生が水晶から見えたものを紙に書いて、書ききったところからお話をしながら進めていくという形でした。
当時のメモからちょっとだけ抜書。
「晩鐘、祈り、特別なことではなくて、日常・生きとし生けることに対する感謝」
「マジシャン、全部リセットして新しい人間関係、世界。占いならタロットを」
「泥沼の中から伸ばした手、今まで染まっていたものをクリア、浄化したい」
「祝福、それをするべき、花束の花は花屋で買った花ではなくて、自分の中にあるものをさしだす」
「もみの木、特別なことではなくて日常。すっくと1本で立つ」
この頃は占いの勉強をはじめて2年ぐらいで、イベントでの鑑定の経験はあったけれど、このあとずっとやっていくとかもわからなかったし、
そのうえさらにどんな方向でやっていきたいのかなんてことは全く考えていなかった。
イベントなどの機会があればただただ鑑定する、ぐらい。誰かお客さんが向こうから来てくださるなんてことはありえなかった。
このあとありがたくも結局数年やってきて自分の中で思ったのは、
自分は仕事としては多分どんなフォーマットにもはまれないらしくて、やり方についても、なんらかの形で自分を出していった方がよいのではということと、
できるだけ、日常の普段のご相談に寄り添える、町の占い師でありたいということだった。そこで活きる実感がある。
いただいたメモというか絵の中に、今のわたしの全部がこめられている気がして、
これを見つけた時に祝福を受けたような気持ちになった。
感謝。
(瑛兎ビットくんの「お金占星術」のモニターを受けた時のメモも出てきたよ…。お金が欲しかったら自分を出せ、とかまた言われてる…。占星術上のロジックはわかるんだよ。すっっごい抵抗した記憶がある。笑。これは多分2013年。)