運命の人、という言葉についての勝手な考察
「運命の人」ということば、ひかれます。
なんとなくずっとぼんやり「運命の人って」、って考えています。
わたしがかつて結婚していたということはところどころで書いています。
その時は占星術は勉強していなかったんですけれど、
あとで相手の方との相性を見てみたら、なかなか大変なものでした。
わたしが蠍座月と牡牛座土星のオポジション、ハードアスペクトを持っていました。
そこに対して、相手の人の獅子座火星と蠍座海王星と水瓶座木星のTスクエア、ハードアスペクトが絡んで、グランドクロス(ハードアスペクト×4...みたいな)ができます。
その終着点がわたしの月、全部集約されていく。葛藤葛藤葛藤、みたいな。
その上に自分の月の上に相手の海王星がくることでなんとなく全部あいまいになる。
月はわたしの感情、私生活を表します。
結婚したなら、結婚生活における妻としての意識、にもなります。
(生活する前なら金星で女子としての意識をみる)
後で見返して「うわっ」と思うわけですけれど、わたしがただ被害者でひどい目にあいましたとかいうとそんなことはなく、
わたしの牡牛座土星が相手の獅子座火星に対してスクエア。相手のやる気に対して無理矢理その質とは違う枠を作ろうとする...でしょうか。
わたしは結婚生活の間、怒ってばかりいたんです。で、わりとへとへとでした。
でも、わたしはわたしで相手を痛めつけていたんだね、ということに気が付きました。
占星術を通してだけれど、一歩引いてふりかえると思い当たる節があった。
こんな感じで相性ベリーグッドとはいえなかった結婚生活だったけれど、ここまでくるとこれはこれで運命だったのでは、と思ったりもするのです。
(でも結婚生活は月なので、離れて逆に相手のよさをあらためて認識できて仲良しになれたところがありました)
好きだったけど、あれこれめんどくさくて別れたいけれど別れられなかった人は、相手の天体と自分の天体、それぞれのあちこちにそれぞれの冥王星やドラゴンテイルも絡んでいました。
相性、基本はアスペクト。それぞれの天体のサインの度数がどれだけ近いかで引きの強さのようなものは見ます。
近ければ近いほど影響は逃れがたい。だけれど、そこに個人の意志が絡むと息苦しさにつながりかねない。
知人の仲良し夫婦はそういった相性でいうなら、奥さんのアセンダントにご主人の月が重なっていたのかな。
雰囲気に安心する、の組み合わせです。
生き方や目指すところが違ったとしても、上手にお互いに尊重して、だけれど一緒にいると落ち着く。
こういう感じも素敵ですよね。
...とか、あれこれ書いていますけれど、
わたしは実は今まで出会った人たち、今のわたしを形成する過程として、すべて運命の人なのではと思っていたりもします。
大好きでしょうがなかった人のことも、いつのまにか全然その時のときめきが思い出せなくなっていたり。
しぶしぶ文句ばっかり言いながら一緒にいたはずの人が、ふりかえるとどうしてその優しさに気がつけなかったのかなとか。
まあ、あれこれわいてくる。
タロットで「運命の人ですか?」と尋ねられたら、
わたしだったらひとまず展開したカードの中に大アルカナがあるかどうかを確認します。
大アルカナは運命的、逃れられない感じ。小アルカナは具体性。
でも小アルカナばかりだったとしても、
それはそれで今現在で「運命の人」と言い切れなかったとして、「具体的に」できることはたくさんある。
そうしていって本当の「運命の人」となっていくことって、あたりまえに普通にあること。
(かつて7年住んでいたアパートの共同廊下。たてこわしになる予定なんですけれど、面白い作りだった。)