ホロスコープを知ることについて最近なんとなく考えること。
ここ数年、初級の西洋占星術の講座を開催しています。
初級の西洋占星術の講座では、参加者さんのホロスコープ(出生図)を見ながら一緒にホロスコープそのものになじんでいく作業というのが多くの時間を占めます。
これはわたしも面白いし、参加者さんみんな面白いようです。
みなさんの反応をみても実感があるらしくて、やってよかったっていつも思う。
一緒に読んでいくと、「確かにそのまんま」という風に感じられる方もいらっしゃって「うわーっ」という声が上がることも(これはお伝えするわたしとしてはうれしいことでもあります)。
だけれど、ホロスコープそのもので人生すべてが確定されてしまうわけでもないと考えてもいます。
生まれ落ちた瞬間にどこに天体があったかというところから形づくられるホロスコープはその方の骨組みなのだと思う。
それが現実の世界でどんな風に肉付けされていくかというのは環境も重要だし、心持ちだってある。
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自分以外の人を見て「あんなふうでなければ」と考えることはたくさんあると思います。多分かなりの方が。
そうして「あんなふうでなければ」になれないことのギャップに苦しむことも。
ごめん。もうわたし年を取ったから思うし言えることだけれど、「あんなふう」にはならなくたっていいんだよ。
ホロスコープを学ぶ中でできることは、「こうでしかない自分」の骨組みを知ること。
ここでこそ人と比べてみると、みんな全然ちがうんだってことが本当によくわかる。
同じ人ではない人たちが同じ方向に目指そうとする方が難しいんじゃないかって。
自分が「こうでしかない自分」だったとして、そこを全面的に変えて違う人になることは無理です。
それでもそこがわかれば、その資質に沿ったやり方で、自分なりのベストな目的地にたどり着けることはできる。
「きれいになりたい」で骨格から変えて憧れの顔になれなくても、自分の骨格に合ったお化粧をすれば、憧れの顔ではなくとも、無理なくより美しくなれるのと一緒。
わたしはお客さんのホロスコープを読ませていただく時、なるべくたくさんの情報をお渡しするようにはしているけれど、例えば「絶対の適職」というのはお伝えできないと思っています。
それを言ってほしい方には申し訳ないけれど、でもわたしが最初から決めることではないんだよね。
だけどほんの少しでもその方自身の「こう向かいたい」というお話を伺うことができれば、だとしたら「あなたならこんなやり方がありそう」という提案をしていくことができる。
現状とその方の思いを無視して、ファンタジーの「絶対」をお伝えするのは...うーん。無理があるしもったいない気もします。
まずはその方がどうありたいか、かなあ...。ひとことでもその方の思いを話してもらえるように、がんばるのは「話しても大丈夫」と安心してもらうことか。
(「何も言わずに全部自分のこと言ってほしい」という気持ちもすっごくよくわかるから、仕事として求められたらがんばる。それでもちらっとは尋ねるかも。)
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個人的には、ホロスコープに支配されるよりも、使っていってもらえるとよいのかなと思う。
使うって言って「自主的に使う」なんてところまでいかなくても、時々ふと自分自身の骨組みと体感覚に立ち返って違和感がないか確かめる。それぐらいでも。
でも案外、自分の中の快・不快にそって行きていけばそれでその骨組みに沿った生き方になっていたりするみたいにもみえます。
快・不快がわからない、という人には「やなもんはやだって思うことを許しましょう」ってわたしだったら言うかなあ。
多分ずっと、自分の感覚を抑える癖がついちゃってわからなくなっているということですもんね。
こういうことはいろんなお客さんに出会いながらできあがっていった考えなのだけど、
同時に昔のわたしに言いたいことなんだな。
もうひとつ。
言いたいのは、支配されると思わないで、か。
わたし自身はもっとしあわせになりたいって思っています。
それは同時に、より自分に立ち返っていくことなのかも。
十五夜の夜。ぼんやりとでも月、見えました。
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なかむらかえる
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