なかえるブログこんにちは。(旧なかむらかえるブログ)

なかむらかえると申します。占う人。星とカードと手のひらと。うっかり等身大で歩きだすお手伝いをしています。主に吉祥寺にて。ご依頼あれば出かけます。

8月22日の日食と、この夏のこと。

8月22日、武蔵新城にある灯台屋さんのおまつりに遊びに行ってみた。灯台屋さんのサイトはこちら。http://todaiya.com/
正確には灯台屋さんのおまつりというより、町のおまつり。そこで灯台屋さんでもイベント的に占いを提供ということで。

一応わたしは占いの人でして…。
占い、非科学的なことだと思うんだけど、そういうものは否定はしないしできない人です。
わたしのようなただ出たものを「読む」だけの人だって、なぜ出るってのは説明しきれることではない。
基本がそういうところなので、形のないものないことを多分すんなり受け止められる方かなと思います(時々ものすごく違和感の感じるものもあるけれど)。

あんまり何も考えていないままおじゃまして、受けたセッションはおっちゃんのアカシックリーディング。「おっちゃん」は女性です。「おっちゃん」というお名前です。
おっちゃんのサイトはこちら。https://ameblo.jp/occhan-77/
アカシックリーディングについてはこちら。おっちゃんのページで説明されています。
https://ameblo.jp/occhan-77/entry-12091227658.html
受けてみたい欲だけで受けてしまって、「なんでも尋ねてください」と言われてその場で考えた質問はこの先の仕事のこと。「続けていけるのか」。

詳細はここに書かないけれど、おっちゃんの言ってること全部わかる、と思った。
信じて、実証して実感をつけろと。
どこかで自分の中で自分の仕事における力について「無理だ」とか「こんなんでいいんだろうか」という思いがあるとそこで疲弊してしまうということ。

あまりにも違和感なく全部わかる気がしたので、この機会にともう一つ尋ねてみた。
「彼氏できますか」だ。
今の生活は好きだけれど、これではメンズが入り込むすきまはない。これでいいのかという思いはある。

父親の話が出る。
求めているのは彼氏というより、守ってくれて全部言うこと聞いてくれるような存在、父親なのではないかと。
子どもの時に要求したりできなかったことから来ているのではないか。
としたら、そこをなんとかすることが必要なのではと。ちゃんとやって、あきらめる。
あきらめて相手に期待しすぎないこと。パーフェクトを求めないこと。

…かもしれない。

わたしは虐待を受けたことなどはない。
父は悪い人では全然ない。
愛されたい人なんだけど、素直じゃなくて自分から人に愛情の働きかけができないくせして、愛してくれない人の悪口をたくさん言う、ちょっと困った人だった。
そういう感じなので小さく家族の中で仲間はずれにされたりして、そうなるとなんとなくわたしは父親側につかなければいけない、家族の中ではそんな雰囲気があった。
役割的に大人でいなければいけないというか(仲間はずれにする気持ちはわかる。わたしも父のことを好きで好きでしょうがないわけではない)。

と、もうひとつは「育てている」ということよりも、「お金を出している」ということをちらつかせることでわたしに小さくたくさんの我慢を強いるところがあった。
「好きなもの食べていいぞ」と言って家族を外食に連れて行って、姉や母が値段の高いメニューを頼むと、後でこっそりわたしに「あんな高いもの頼みやがって」と言う。そんなの聞かされたら、やりたい放題はちょっとやりにくい。
まあ基本不器用だったり、お金のことでいろいろあった人だったり、そういうことがいろいろ絡んでいるんだと思うんだけど。
だけどそういうことは責められない気がするし、責めることでもないような気がしてだまり続けた。何かが嫌なんだけど何が嫌ってことも認識できなかった。

父親は役割としての「父親」の意識はあるけれど、マインドとしては子どものわたしのよりも、さらに弱くて構ってほしくてたまらないのに素直じゃない「子ども」そのまんまみたいな人だったのかなと。今にして思えば。

そんななので、家族の中、特に父親の前であんまり子どもではいられない環境だったのは確か。
だからわたしは父には歯向かったことはないんじゃないかな。
歯向かうよりは逃げ出そうと思っていたし。
わかってもらえないと思ってたけれど、わかってもらえるはずもない。多分考える土台が違いすぎる。そんな感じで。

(多分、父はわたしのことをとても愛してると思う。だけど、多分それがまた言えない一因だったかと。愛されてるというか、頼られてるに近い体感がある。)

今年の夏、父がガンで手術したということで帰省した。
幸い転移はなく、手術してきちんと治療すればかなり以前に近い生活は送れるという。

「帰ってくるな」と言われてやめようかと思ったけれど、周囲の友人たちに「絶対帰った方がよい」と言われて帰った。
2日滞在して初日はベッドでうずくまってほとんど喋らなかった父が、2日目は声に力も出てきて、車椅子に乗って移動したがった。
ただ、言ってることにわりと脈略がなかったり、ちょっと頓珍漢なところがあって、もしかしたらもう以前の父親とは何か変わってしまったのかもしれない、そんな気もした。
要するに意志の疎通ができにくい状態ということ。わたしのことを見ているようで見ていない。目が違うところを見ている。
姉によると去年、帯状疱疹の薬の副作用でせん妄があって以来、そういう感じは断続的にあるのだと言う。手術直後ということや、86歳という年齢のこともあるのかと思うし。
どこまで復活できるかはわからない。

戻って。
おっちゃんに一番勧められたのは父親ときちんとバトルすることだったんだけど、
父、これでますます弱くなってしまった。
これでもうますますわたしは父の前では子どもにはなれないんだな、と思った。

もうひとつ対処療法的に勧められたのは、大きなぬいぐるみ(抱きまくら的なものだと思う)を買って自分の子どもの弱い部分を癒やすこと。

…通販でなるべく大きなものを探してオーダーしてしまった。

まだ届いていないけれど、
隣にそんなのがいたら、なんだか毎晩泣いてしまいそうな気がする。
すごく自分の弱い部分がむき出しになるような。そんな感じになりそうな予感がする。

そういうことが怖かった。そうなると仕事できなくなるような気もして。
でも一回やってもいいのかもしないなと。

8月22日は日食の日。
日食は新月の中でも特別な太陽が見えなくなる日で、大きなきりかわりがある日とされる。影響力が強いと。

わたしは普段新月について読まないのだけど、今回の日食については実はほぼ自分自身のネイタルチャートの太陽の上で起こっていて気にかかっている。
変化の星の天王星も絡む日食。
こういう一連のこと、なんだか日食を象徴するような、そんな出来事のように思えた。
これからのわたしがどうなっていくのかはやっぱり全然わからないのだけど。

 

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帰省した時にパックで付いてきた宿泊のビジネスホテル。こういう場所がすごく好きなんだよね。