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なかえるブログこんにちは。

なかむらかえると申します。占う人。星とカードと手のひらと。うっかり等身大で歩きだすお手伝いをしています。東京・西荻窪あれやこれや

先生のこと

鑑定の待機時間の合間によしもとばななさんの「すばらしい日々」という本を読んでいる。
その中に「逃げても逃げなくても」という章があって。
それは亡くなっていく人のその時に立ち会うか立ち会わないか。ということについて書かれた章だった。

20代の頃なにを考えたか脚本の勉強会というものに通っていた。
はじめて出会ってはじめて教わったその先生には、多分かわいがってもらったと思う。
「お前(の書くもの)はいいんだが、構成がだめだ」と言われていた。
世の中の常識からはずれたことばっかり言ってて、最初はなんじゃこのおじいちゃんと思ったけど、でもちょっとおもしろすぎて嫌だとは一切思わなかった(ひどくて面白いエピソードはいくつも思い出せる)。

わたし自身が脚本家になる的なことはまるっきりなかったけれど、20代後半から40代に入るか入らないかのあたりまで、時々呼ばれては先生の原稿のワープロ打ちを手伝っていた。

確か震災の年。
先生がガンで入院するということになったと言う。
その頃も呼ばれて、先生のご自宅の近くの喫茶店で次の作品の構想を聞かされていた時だったか。

その時わたしは失業中で、入院が決まった先生は1日5,000円払うから奥様やご家族と交代で病院に付き添いに来いという。ご家族もそれぞれ事情があって毎日通うのは難しいからと。
土地としてはわたしの自宅からは1時間半かかる場所で、ちょっと厳しい。さらに病院は行きにくい場所にある。
かつての同窓生同士で話してM氏とIさんとで分担して行くことにした。


すごいつらい時期になった。
病院での先生は寝てたりごねたり、なかなか話が通じなかったり、
わたし自身すごく対応することで疲弊するんだけれど、
先生がしんどそうで、そしてこれまでの先生ではなくなっていく感じがあって(それが衰弱していくということなんだと思う)。
いつもの5,000円を必ず渡されるのも、つらかった。

毎回行った帰りは、病院から駅までの15分くらいの道を泣いて歩いた。
疲弊しきった頃に職業訓練校に通うことが決まり、ご家族に話して先生の付き添いを降りることにした。
その直後に先生が危篤状態に陥ったと連絡が入って、とにかく病院へ向かう。
話はできる状態ではなかったけれど、顔を見ることはできた。
それから先生はそれでも一週間ぐらいは生き続けた。

本当にそれは2、3ヶ月の短い期間のこと。

わたしは最後、つらくて逃げ腰だったんだよね。ほんとに。
そういうことをよしもとばななさんの文章を読んで思い出したのだけど、同時に思ったのは、
なんとかして、最後の一週間、もう一度顔を見に行けばよかった、ということ。
面会時間には間に合わなくても、ねじこんで、もう一回行けばよかった。

亡くなられて数年経って、同じく分担して病室に通っていたM氏と話した時に「毎回帰りは泣いてたんだよね」と言ったら、「俺もそうだった」と返ってきた。
あ、なんだかんだでこいつ友達だ、と思った。

(その確か2週間前、実家の母も亡くなった。母のことも、お金なくて厳しかったけど、もっともっと会いに行けばよかったと思った。2011年。)

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