なんとなく、ここ約10年のこと
西洋占星術では年齢域という考え方があります。
西洋占星術で使う10の天体にそれぞれ該当する年齢というものがあって、
その時期にその天体の意識が培われ、なおかつその天体そのものの雰囲気からその時期の雰囲気をざっくりと予測するというもの。
その中で火星期というものがあるのですが、それは大体35歳~45歳ぐらいを指します。
火星は戦いの星でやる気の源みたいなもの、激しさ。
「戦い」というと聞こえはよくないかもしれないけど、人と関わりながら生きていく上では必要なものではあるよね。
そういうものを自分の中に培っていく時期でもあり、ホロスコープの中の火星の状態から自分自身のざっくり10年間の雰囲気を掴んだりする。
わたしは今まあざっくり言うとアラフィフでして。
年齢域で言うなら火星期の次の木星期(約45歳~55歳)に入っている。
わたしの火星期。
なんかずっとどうかしてたような気がする。
ホロスコープにおけるわたしの火星はアスペクトというものがありません。
アスペクトがないということは場合によっては行動しにくい、アウトプットのための手立てを見つけにくいということになることがあります(注:すべてがそういうわけではないからここに囚われすぎないでくださいね)。平たく言うと、多分あんまり上手に使えてなかったんだろうと思うのだ。これまで。
この10年、その、使い慣れない自分の火星とかかわって、あちらこちらとぶつかったり行き過ぎてしまったり。
ぶつかるとか行き過ぎるって、自分を止められない状態。
そう思えば確かに火星を使っていたのではないか。
あまり過去のことが思い出せないんですよ。
あれやこれやとめまぐるしすぎたからかもしれない。
それは火星のせいだけでもないのだけど。
さらにここ数年で会えなくなってしまって心にひっかかっている人というのが何人もいて。
気持ちはあるのだけれど、状況的にやりとりするのが難しいとか、その意味とかはどうなんだろうとか、
で、あの時の自分が悪かったかと言えば、自分が悪くないはずはないけど自分だけが悪いわけでもない。
なにもかもがただマッチしない、かみあわなかった。
そういう話にしかならない(あくまでこれはこっち側からの見方で、相手はそうは思ってはいないと思う)。
そういう時期って、そもそも自分自身がどこか狂っていたんだろうと思う。
自分がズレているからやることが違うか、場所が違うか、そもそも自分を中心に考えることをしていなかったゆえのしっぺ返しか。
なにか違和感があったとしても、それ以上の何かを優先したんだよね。その時は。
今はどうかなあ。なんとなく、なんとなくよくなっているのではないか。
以前より誰かといてもスムーズだから。
だけどあの時期がなかったら、今のわたしは絶対にいない。
あれこれのことに対して後悔してないわけはない。
だけど確かにわたしは自分の火星期というものをやって次に行けたんだとは思う。
わたしの中の火星期のイメージ。こんなかな...。でも人生における突破口でもあったとも思う。
時々あれこれ考えるけど、考えきれず書ききれず。また何か書くかもしれない。