凸さんでの夜は更けて
昨夜は占いが終わっておなかがすいて、喫茶凸さん→☆ で夕ごはん。西荻窪です。ちょっとふんぱつしてみました。
凸さんは遅くまでやっている、お酒も呑めるけど、ごはんもしっかり食べられるありがたいお店なのです。
この日のごはんは「鶏肉とアスパラとその他諸々具沢山コーンスープ」。
(Twitterで後追いしてメニュー確認しました。すいません。画像もいただきました...。)
おいしかった...。
おなかすきすぎて4分の1ぐらい死にかけたのが復活。+さらに50%ぐらいアップ!ぐらいな。ありがとうございました。
この日はふと気がついたらわたし以外の店内にいた方が(店主さん含めて)お料理関係の方だけ。
お料理の話に花が咲く。
もちろんわたしはそこはもう聞いてるだけ(本当にお料理わからんのだ...)。
それでもところどころはっとするフレーズをいただいてあっと思う。
「素材にもいろいろな状態はあるけれど、それを打ち消してごまかすのではなくて、いかにしてそのままのそのものを活かしていくかと考える」
確か、このようなニュアンスのお話だったと思う。
わたしは占いをやっている人ですが、
★タロットは今直面している問題そのものについて占う、
★西洋占星術はそもそものその方の資質について観る。それから長いスパンでの未来予測。
...こんな違いがあります。
あ、ちなみに
★手相は今の状態の確認
...かなあと思う。これからより追求していく予定ですが。
西洋占星術で生年月日と出生時間と生まれた場所を伺って、その方のチャートを出していった時、
その時点で、スムーズに生きていきやすい方、スムーズには生きていきにくい方の違いは正直あるなあって思います。
および、世の中の基準に合わせて生きていくことがしやすい方、しにくい方とかね。
だけれど、そしたら「人と同じように生きなくても、オリジナルなやり方をさぐる」ということが西洋占星術(および命術)にできることなんじゃないかって思っているんです。
世の中でよしとされる型にはめこむことではない。
もしもご自身が実際に望む方向に生きることが難しかったとしても、何のために生きるのかということを忘れなければそれほど苦しまずにすむのかもしれないなー、とか...。
...長くなりましたが、そのフレーズを伺って、
生意気ながら「あ、占いと似てる」って思ったんです。
勉強しはじめて6年目。
お客さまを定期的に占わせていただくようになって、まだ約2年半。
ほんとほんとまだまだだよなー。
なんかまだ今年始まったばかり、みたいな気がしています。