きわめて個人的な。
わたしのこのなかむらかえるという名前はもちろん占いをやるためのいわば源氏名です。
(もうひとつの中村文という名前も源氏名その2です)
2011年に占いイベントを開催させていただくことになって、あわてて考えた名前です。
でもわたしはこの名前をものすごく気に入っていて、この名前をつけて占いを始めてすごく元気になりました。
占い自体はずっと続けていきたいと思っているし、そしたらこの名前はずっと使っていくつもりでいます。
わたしは占い師として特別突出している部分はないし、ひたすらカードやら星の象徴を読むだけの人ですが、それでも占いを通して生身のお客さまに出会えることには感動や喜びがあります。
実は戸籍上の名前というものは別にあります。あたりまえですね。
その名前はものすごく女子女子していて、すっごく苦手でした。
お友達からもなぜか上の名前で呼ぶことも多くて、それゆえその戸籍上の名前とはさらに遠ざかって生き続けてこられた。
だけど最近、なかむらかえるという名前で生きる時間が多くなって、
それまで苦手だったはずの戸籍上の女子女子した名前に対して、なんというか苦手意識が薄くなってきた…ような気がする。
自分が何者かなんてどうでもいいことで。
名前はあくまで容れ物です。
なんだけど。
生きることを楽しみたい人なんです。わたし。
方向はいろいろです。日常の中でのうれしいこともかなしいことも全部味わいたいと思っている。(かなしいことは少ない方がいいけど)
同時にわたしを楽しませてくれたりたくさんの栄養を与えてくれた素晴らしい映画や本や無茶な旅や音楽のこともそう。
そういうものをあちこちから見つけてきて手に入れてきた自分も案外すごいなーということもちょっとは思う。
私生活においてもたくさんのできごとを乗り越えたり乗り越えきった感じはなくともなんとかならしてやってきて、あんまりねじくれないでこれてるとこもすごい。
そういうことをあらためて思い出しています。
そしたら自分の女子女子した名前部分も、女子女子した名前の割には女子女子したことが上手にできなかったこれまでのことも
もう少し愛情を持てるような気がしてきています。
ていうか、おろそかにしたくない。
あっちこっちでとっちらかってますけど、
多分、なかむらかえるという名前を使うようになったことで、自分の人生との付き合い方のバランスが少しはよくなったのかもしれないと思っていること。適度に距離が取れるようになったのではないかと思っていること。
わたくしの話ばっかりですみません。
土曜日にいきなり今日がお休みということが発覚。
歩いたりメール書いたり、こうやってモノ書いたり、…さっきハイボール呑んじゃった。
遊びに出たかったのに、出そこねて一日が終わろうとしています。
でもあと3人くらいお礼のメール出したい人がいるんだ。