「楽しいと思ったことは?」
こんにちは。なかむらかえるです。
なんとなくいろんなことを考えています。
数日前、ある方から「楽しいと思ったことは?」という問いを受けて。
占いやっている人としては、わたしはどこかにきっちり所属しているわけではなくて、自分でも「占い師」と名乗ってよいのかどうかがわからないところがあるのですが。
昨年の11月、横浜での桜田ケイ先生企画の占いイベントの時のこと。
ずっと「勉強してきたことをアウトプットしたい」という気持ちはありました。それで出させて頂いたのですが。
焦りがあったのです。このままだと勉強してきたことが使えないままだめになってしまうのではないかと。
わたしはあのイベントの時に二人のお友達同士の女の子を占いました。
自分でもまだ自分の占いについては「本当にこれでいいんだろうか」という不安があって。ただただ出たカードを読みました。
状況をさほど知らない女の子達に対して、答えを出すということは怖かった。
がむしゃらです。
だけれど、女の子達には喜んでもらえたようでした。
そのことがとても嬉しかった。
あそこが「占いやりたい」と思ったきっかけだったと思います。
もうひとつは。
…ちょっと書きづらい。事情がありまして。
えーっとまあ。ある場所において、わたしはある意味ストレンジャー的な立場で関わっているのですが。
「どうやらここにいていいらしい」と思えた瞬間があったのです。
だからと言って今後その場所において誰かと親しくお友達付き合いをするとかそういうことはないでしょう。
それでもものすごく嬉しかったらしくて、いろんな疲れが瞬間に消える気がしました。
わたしは一人の時間がとても大切で、それを持つことができないと生存し続けられるのかさえ不安なくらいです。
だけれど。
自分の幸福感って、もしかしたら誰かによる肯定感が重要らしくて。それがないとなんだかよくわからないのかもしれない。
(上の占いの話については肯定感に加えて、自分の能力を使えているという実感ということも大きいかもしれません)
西洋占星術のお話で言うならわたしは極端に南半球(社会的エリア)に天体過多な人間で、自分が自分の人生を楽しんでいればそれでOKとはできないところがあります。
「社会・他者の中での自分」がテーマ。
そこは如実に現れているんでしょうね。
あ。一人で面白い本読んで没頭している時とか、登山もそういえば幸福感あるなー。
幸福感というか、本来の自分に戻れる感じ。
これは西洋占星術でいうと「月」の部分ということかも。「月」は生きる上での土台で安全装置。時々きちんと満たさないと、自分を守れないという部分でもあります。
(安全装置であるがゆえに、大概の方はナチュラルに満たす行動をとっているとは思うのだけれど。)